PC、スマートフォンが一般層に圧倒的に普及し、現在では顧客の注目を集めるために様々なハイクオリティのインターネットコンテンツが我々の日常に届いてくるようになっている2015年現在。
そんな無数のインターネットコンテンツの中で一切の進化、洗練を拒むかのように変化することなくインターネット普及当時のままの姿を保ち続けているHPが数多く見られるフィールドがある。
そう、それが公立小学校のHPだ。
”新たな顧客を獲得する必要がなく、誰からも批評の対象に見られていないインターネット唯一のオアシス”の実態にぜひ迫ってみよう。
http://omocoro.jp/kiji/68521/ より引用
まずはこちら。
見事なまでに文字がカレンダーと重複している。
分かりやすさが大前提である現在のインターネットコンテンツと比べればこの少々の見辛さなど気にしない心意気がどれほど異質であるかが伝わって来る。
次はこちら。
ディスプレイがスクエア型から長方形のワイド型になったにも関わらず
一切対応する素振りを見せないこの威風堂々とした右のスペース。
圧巻である。
何故この画像を選択したのか全くわからないような画像を選択する
という「洗練されてなさ」も多数のHPにて見られる共通した要素。学校のHPにここまで霧がかった画像を載せていると最早何かしらの悪意すら通り越した無関心さを感じる。
他にも何とも
微妙に早すぎないか?と言いたくなる速度で回転する画像
を何故か選択することも一つのパターンとして見られる現象だ。しかしまあ実に絶妙に早すぎる感じに哀愁を感じる。
如何であっただろうか。今やいかなるウェブサイトも実に洗練され、よく出来ているな、と感心するものばかりである。しかしこうした小学校のHPの「洗練されてなさ」を見ると何とも言えない温もりのようなものを感じることもまた事実。
いつまでもこの無骨な様相を保ち続けてインターネット上の生きる化石として残り続けていってほしい限りである。