多くの音楽ファン、並びに相対性理論ファンは真部脱退以降の相対性理論はつまらん!と語っている場合が多い
(このサイトなどで思い切り叩かれている http://basement-times.com/post-1554/ )。
確かに相対性理論は真部脱退以降と以前では(わかりにくいかもしれないが)実に異なった音楽を演奏しているように感じる。何よりもやくしまるえつこの存在感がより顕著に押し出されている。
一見して上記のような現在の相対性理論への批判は単なる懐古主義者の批判のようにも思える
がまあそういった意見を持ってしまう人がいるのも致し方ない、と思ってしまうのもまた事実だ。なぜならそれほどまでに初期の相対性理論は不思議な魅力を備えたバンドであったから、と言う他ない。
正直初期相対性理論の特異性はあまり言語化できるほど単純なものではない。しかし確かにその瑞々しさと時折垣間見える実に成熟した理知性のある雰囲気との絡み合いと面白おかしい歌詞や親しめるメロディが作り出す世界観は唯一無二であった。
しかし果たして現在の相対性理論は初期相対性理論の単なる劣化品かというとそうでもない、というのが筆者の意見である。
とりあえず最近の楽曲を聴いてみよう。
最新アルバム(とはいっても随分発売から時間は空いているが)
「Town Age」からの一曲、「たまたまニュータウン」
だ。普通に聴いてみると単純にいいポップスに聞こえる。
しかし!
こちらの2DK session ver.の「たまたまニュータウン」を聴いてほしい。
随分と異なった様相を持った「たまたまニュータウン」が聴けるではないか。この原曲の拡張性にこそ現在の相対性理論の面白みはある。あのシンプルな楽曲からよくぞここまでノイジーで破壊力を持ち、トリッピーな楽曲にまで拡張できるなと素直に感心してしまう。
現在の相対性理論はライブでウッドベースを使ったり、ツインドラム編成であったりとライブでの余念のないサウンドクリエイティングに力を注いでいる。実際にライブに行って見ればわかると思うが最初は正直何の曲かわからん!といった状態から楽曲がセッション形式で始まり、次第に原曲のメロディーパーツが顔を出してくる。
真部脱退前もこういった試みはあったが、上記のような様々な楽器やVJなどの導入などもあって現在では相対性理論のセッション性、ならびにミュージシャンとしてのアグレッション、アーティシズムは更に推し出されたものとなっている。確かに真部在籍時とは異なった状態にある現在の相対性理論ではあるが、バンドというものは当然ながら常々変わり続けるもの。そういった前提的な認識をもって現在の自由奔放に音楽を楽しむ現在の相対性理論を評価してほしい。
相対性理論とは?
相対性理論(そうたいせいりろん)は、2006年9月に結成された日本のバンド。東京都を基点として活動している。みらいrecords所属。『ポストYouTube時代のポップ・マエストロ[1]』、『全天候型ポップ・ユニット[2]』、『ポップ・シークレット・プロジェクト[3]』を名乗る。